ひとに向けて書く言葉

※これ10月に書いてた記事なんだけど、なんかしら思うところがあってあげなかったようだ。

 

ブログをしばらく書かない期間が続いていたのだけれど、その期間は、自分の気持ちを形にして誰かに見せるのが嫌だなあと思っていた。

それってブログを書く目的とまったく真逆な気持ちだとおもう。見て欲しいから書くとおもうし、わかってほしいから言葉を探すんだと思うから。
 
率直な気持ちを、複数の立場が違う人間(というか知人)の前で同じように出すことができないと感じてしまった。
そして、色々なことを気にして、最終的に取捨選択して書くものは、わたしが本当に書きたかったことじゃない気がしてしまったのだ。
 
なので、色々考えた挙句、紙の日記にだけ微妙な思うところを吐き出すようにしようと決めたら、ぐっと楽になった。
ネットと違って、そこではどんなことも書いていい。そういう場所があるのは楽だ。
友人に全部を言わなくていいんだとおもったら、楽になった。
 
じゃあ、ここではどんなことを書くのか。
やっぱり伝えたいことを書くんだとおもう。
わたしが掘り下げたい気持ちで、誰かが気にするような危険性が高いものは、外に出したくない。(思ってもなかったものが、地雷踏んでることもよくあるけど)
 
わたしが今までそういう微妙なことを書くときは、誰かからの意見がほしかったときなんだけど、それは自分だけの考えじゃ足りないと思っていたからでもある。
でも、今、わたしはそれでも、自分で考えて決めたほうがいいとおもっている。どんなくそったれな結果になっても、やっぱり答えは自分の中に最初からあるんだとおもう。
(それに、個人的に意見聞きたいときは、そのひとにだけ聞く…)
外に出してしまったら、外のルールで裁かれる。
だけど内にあるときは、内のルールで存在していい。
だけど、外に出して誰かに伝えたい、伝えなきゃいけないというときがある。
そのときに、考えながら伝わるように、同時に伝えないように書きたい。
内にあるときは、そのものの正体を見極めるようにかきたい。