一時帰国とそれにまつわるアレコレ

2/18〜3/11の間、日本に一時帰国していた。

つい先週まで日本にいたのだなあーと思うと、すごく不思議な感じ。
そこから派生して、2年前は終電近くまで毎日働いていたのだ…とか、8年前は剣道しててBさんにボコボコ打ち込まれてたのだ…とか、いろいろ考えると、なんかその都度全然違うことしてんだな…とか思ったり。
何が言いたいかというと、今の自分も多分数年後からしたら、あんなとこにいたなんて信じられぬ、と思うに違いない。

日本に帰った目的は、家族や友人に会うこと。
NYで子どもを産むほうを選ぶことにしたから、下手したら当分会えないかも?と思ったから。
きっかけは剣道のサークルの10周年記念会があったことだけど、子どもがいる前のわたしで皆に会っておきたかったのもある。
こうどれぐらい自由がきくのかとか、いつから自由ががきくのかとか、どう変わってしまうのかが、今マジで未知数なので。

逆に親戚は多分子どもがいるからこそ少ない帰国の際にも会いに行くことになると思うので、あんまりめぐらなかった…。
(でも、ばーちゃんは来てくれたし、先輩のばーちゃんも東京に来る用事があって会えたから良かった)

先輩は仕事があるため、一緒には来ず。
3週間行ってくることをいいよと言ってくれたし、見送ってくれたし、本当に本当にありがたかった。

NYで産むことにした理由は、出産直前とそのときと直後、一緒に色々を体験したいし、してほしかったから、が結局一番だったような気がする。

悩んでたとき、日本で産んだひとの話を聞いて、いろいろ考えた。
その人は、子どももすごい父親になついてるし、里帰りにしてよかった例だとおもう。周りはいろいろ言うだろうけど好きなほうで決めていいんだよと言ってくれた。
どっちにしろプラスもマイナスもある。
結果的にどっちでもいいんだろうなと思った。どっちでもどうにかなるだろうし、何かはどうしたって欠ける。
だからこそ、どっちにしよう。

その人は郊外に住んでて、たとえ親に来てもらっても車が運転できないと買い物にすら行けないとか、そもそも日本語通じる産婦人科がないとか、都会と郊外で事情が違うから、自分の場合はどうなんだろうと考えた。
母さんが来るのは可能そうだし、今住んでる場所なら近くにスーパーもあるし、手伝ってもらえそうだ。
そして地味に重要な要素なんだが、母さんは若かりし頃アメリカに行くことが夢だったということが…!
(でも観光する余裕あんまりないかも…?)

先輩はあんまり自分の意見を言わなくて(言ったらそっちに傾くんだと思ってたからだろうが)、でも「それで決めたりはせんから、教えて」と一度だけ聞いたら、一緒のほうがいいとのことだった。

わたしが迷ってたのは、日本で産んだほうが家族や親戚は会いに来やすくて喜ぶのかもしれないと思ったのも大きい。
でも、結局わたしは今これからの家族のほうを優先してみようと思った。その上で、できることをしようと。。(しかし、ばーちゃんはずっと「東京で産めばええのに」と言っていた。。OH。。)

ただもちろん先輩は変わらずハードワーカーなので、お互いが潰し合い共倒れの可能性もなきにしもあらず!!!!

話がずれたけど、そんなこんなで、いろいろな人に会いに行ったり、来てもらった3週間だった。
(高知に旅行行ったりもした!細かく書けたら書きたい)
混雑時の電車に頻繁に乗りたくない=平日夜が続くのは結構厳しい、という社会人にとってはすげー会うのが難しいかもというひともいて、どうしようかどうしようか、と思ってたら、最寄り駅まで会いに来てくれたひともいた。平日の昼に休みをとってくれたひとも。
高校時代の先生にお昼をごちそうしてもらったりもした。
いろんなひとに恩がたまっていく…。
諸々の事情で会えなかったひともいたけど、会いたい意志は伝えられたし(すきだ!という気持ち)、きっとまたいつか機会があるだろう。

帰ってすごいよかったなと思った。
NYでのこと、ひとのことが、自分の中ですごく大きくなっていたんだけど(中にはズーンとくることも)、それこそ視野が狭くなってたんだなって。
日本のことがじぶんの中に戻ってきた。
そうしたら、なんかこう大きくとらえすぎていたものが、適切な重さになった。
しかし、今まで日本で生きてきた二十うん年で、確かに育ててきたものはあるんだなーとしみじみした。
ありがとう、昔の自分。今のわたしも未来の自分のために、ちょっとがんばりたし。

あと、もう母である友人、これから母になる友人も結構いて、なんかあったら頼ろうとおもった。

でも、同時にうまくしゃべりきれんかったり、相手に負担かけたなって思うこともあった。
ごめんなさい、と思いながら、でも会えてよかったです。時間と力を使ってくれてありがとう、ありがとう。

帰る4日前ぐらいから体調を崩したりもした。
熱が上がったり下がったりを繰り返してたんだけど、多分あんまり馴染んでしまったから(それはもう一瞬で馴染んだ。わたしは日本が合うんだとおもう、大変日本的な人間ですし)、今度はNYに戻ることに緊張しているのだとおもった。
(NYに戻ったら元に戻ったし、いちおう先生にも報告したけど、そういうことはあるらしい)

でも、帰るときはすごいあっさり帰れてしまった。気づいたら飛行機に乗ってたし、帰りのほうが自転の向きとかとの兼ね合いで早く帰れたから、なおさら。
ただセカンドインパクトみたいなものがあって、久々のNYの愛想のなさとか、道路のボコボコ具合とか、トイレの汚さとかになんかショックを受けて、日本に帰りたいと思ったりもしたけど、1日たって、外をうろうろ散歩したらそれも元に戻った。
日本にしかないと思ってたミカンが、こちらにもあったことが大変大きかった…。

そんなこんな3週間だった。
体重もわりと激増した。