最近の英語の勉強のこと

今、自分がいいと思っていることが、「言い訳じゃないのか?」って言われたら、そうじゃないって全然言い切れない。
それでも、言い訳が完全に入らずに、微妙な部分のものを言うことは難しいなと思うので、ずっとどう書いたもんか迷ってた部分のところを、ごちゃまぜのまんま書いてみる。
(楽なほうに行きたいだけだろーが!とも言えることだって思う)

わたしは、12月まで週2で行っていた図書館の英会話をやめて、今は喫茶店でマンツーマンスタイルで英会話を週1で教えてもらっている。
友人に紹介してもらった、日本語もしゃべれるネイティブな先生だ。お値段もそんなに高くない。
(3月に日本の大学に留学しちゃうんだが…でもスカイプで続けられることになった\(^o^)/)

変えた理由は、妊娠したからもあって、結構通うのが負担だったからもあるし、マタニティヨガに行こうと思ってたら曜日がかぶってたのもある。

でも、実は一番大きいのは、やっぱり今のわたしにはハイレベルな教室に行きすぎてもた…というのがあった。
(でも行ってよかったとすごいおもっている。これは本当)

周りとのレベルの差が大きすぎて、会話練習がスムーズにいかないし、あきれさせてしまうし、無茶苦茶な英語をひねり出すのでせいいっぱい。お荷物になってしまった。

そんでも、その分頑張らなきゃ!!って負けん気とかで沢山勉強して付いていく人もいるとおもう。
でも、わたしは劣等感のがだんだん育って、行くのが結構ストレスになってしまい、「今日も無事行けた!」ということだけですごい力を使ってしまって、生活全体の何かやろう、というモチベーションが低くなってしまった…。(※妊娠初期の体調悪い時期と重なったのもすごいある)

授業自体は先生がほんとよくて優しくて素晴らしかったんだけど、わたしがダメだった。
なんかある日、「あ、なんか今のわたしに全然いい影響もたらしてないな。英語的にも、生活的にも」「基本がなってないから、何も積んでかないんだ」「最近、英語楽しくないもんな」と次々思って、元々このタームで終えるか、続けるか迷ってた答えが、ストンと降りてきた。
そこで、前々から友人が習ってる先生のこと思い出して、連絡とったのだった。

わたしは、「レベルが高いところに行って揉まれていくうちに、上達していく」のが、いい方法なのだと思ってたんだけど、ふとこれまでの自分の人生を思い出したら、自分の場合そうでもないのかもしれない、と思った。

わたしはすごい強烈な、優れた集団の中で、いつも萎縮してきたし、自分を見失ってきたし、力が入ったままだった。
その人らの前にちゃんと自分の足で立てたのって、一度離れて、萎縮しない場所で経験積んでからだった。(これをすべての場合に適用しなくていいとおもうが)
もちろんその人たちの前ですごい学んだこともいっぱいある。もうすごい宝と言っていい。
けど、学ぶことと、自分の力を出すことを分けるなら、力を出せたのは萎縮しない場所でだった。
(あと日本でのいろいろと違って、今吸収するにも、まず吸収するために必要な理解ができない!なぜなら聞き取れないからー!)

そして、今マンツーマンの英語が本当に自分にあっているのだ。
雑談しながら、うまく言えなかった単語を使って、宿題として自分で例文をつくってくる。(だいたいそれが20個ぐらいある)そして、それを元に、またこれは自然じゃない、とかここは違う、とかして訂正してもらって、出来上がった例文を、別のノートに清書して、持ち歩いてとにかく覚える。手持ちの頼れる武器が増えていく。
間違った言い方したら、訂正してもらえる。
リスニング練習用にアニメやドラマのおすすめしてもらったり。
(あと何より、すごい個人的な、立ち入った話ができるのが、多分わたしにとってはすごく大きいのだ…)

1個1個手応えがあるから、自習が全然嫌じゃない。
授業数は週2から週1に減ったけど、勉強の総時間数は前より全然上だ。
結局一番成長する時間って、自習してる時間だと思うから、そういう意味でモチベーションを高く保ってられる方法はすごいいいなって思った。

デメリットといえば、先生とマンツーマンだから、交友関係が広がっていかないこと。
でも、あわよくば交友関係も!系で物事を選ぶより、純粋にそれに集中できる環境を選んだほうが、長く続けられる気が今はしている。

これが絶対だなんて言わないし、思わないようにしたい。(行動がそれ一辺倒になりそうだから)
ましてすべての人にあてはまるなんて口が裂けても言わない。(それが絶対違うことだけはわかる)
ただ今は英語の勉強が楽しくて、英語があるから生活がもっと楽しくなったという気がするから、それは本当に本当によかったな。

あともっと言うなら、今まで集団学習ばっかりで全然経験なかったから気づかなかったけど、わたしにはマンツーマンという勉強方法は何事においてもあってたのかもしれないな、と今更ながら思った。