小暮について
わたしが一昨年?のどこかでmixiに書いて結局非公開にした小暮についての文章が今読んだら面白すぎたので、あげてみる。本当にずっと考えてた。もっと色々あるだろうよ、考えること。
☆ ☆ ☆
6月ごろ、わたしと話したひとは、わたしがやたらと小暮について気にしてることを知っているはずだ。
そう、会社の同僚で飲んでいたときに、「会社のひとをスラムダンクで言うなら誰か」ということを話していたときに、5人全員から小暮と言われたことについてだ。
ああー潤滑油的な!という言葉とともに。
そして、わたしはそれがショックだった。小暮のことは好きにも関わらずだ。
金曜の飲みだったが、わたしは土日の間悩みこみ、色々なひとに話し、だいたいもう2ヶ月ぐらい経とうとしてるのにまだ考えてる。うん、まだ考えてる。頭おかしい。基本的に偏執狂なので…。
たぶん、なんでこんなに気にかかるかわかってないから、ずーっと心の片隅にあるんだ。
色々なひとに話した結果、小暮は最終的に試合を決めるんだよ!、小暮ではないよ!、小暮は…など小暮に関するフォローをもらった。
そのたび、少し救われた気持ちになってきた。
が、ずーっと考えてて、気にしてたのは「本当に小暮かどうか」ではなかったような気がしてきた。
わたしが気にしていたのは、たぶん、最後の1年間ぐらいにわたしが見せていた面はそれだったのかーということと、それがあんまり嬉しくないじぶんを発見したから…という気がする。
その5人は、最後の1年一緒に働いたひとたち。
たぶん、もっと最初の3年あたり?一緒に働いたひとは、わたしを小暮って言わない気がする。わたし的には、タタリガミになったオッコトヌシさま的な感じ。あれ?ジブリ?
小暮みたい、は、小暮まんまそのものを指さない。
たとえば、その場にいたYくんがゴリという話だったんだが、その後輩は性格は全然ゴリじゃないと思う。もっと彼はエゴイスト。しかも人にそれを求めない。ただゴール下の守り神的なところはある。その1点の共通点を言いたいがために、ゴリで言い表せる。
で、その場の小暮はどういう意味だったのかというと、上にも書いたが『潤滑油』というところがたぶん言いたかったのだとおもう。
わたしは、最後の1年間「潤滑油」として評価されてたのかーと。
そして、実際たぶん、わたしはそうしていた。そこを頑張ってた。
わたしは対ひとに関して、わりと頑張ってた!
でも、それがイコールわたしって言われると、ショック。
たぶん、ひとにとっては、そこそこ嬉しい存在だったかもしれない。それが、いいことだとおもっていた。(いいことではないと、今もおもわない)
そういう風にならねばとしていた姿を、小暮に見てしまった。
嘘をついてたわけじゃ全然ない。本当に嫌なこともおもってないことも、病的なまでにできない。嘘じゃない部分でがんばった!
でも、なんかその方向で成長したのか…わたし…と。
そこで覚えられるの、なんかやだなーっておもってしまった。
まあ、どんなに自分の意図で動いたとしても、ひとからどう見られるかはコントロールできないものだとおもう。
適性とやりたいことがちがうように。
なんかでも客観的に自分を見させられてしまって、わたしはもっと攻めてるわたしがすきだな…とおもったのでした。
結局なりたいじぶんと、なってしまったじぶんの、ズレの話なのか?
でも、ちょっと思い返して、きっとわたしと働きたいとはおもっててくれたに違いない。だって、小暮いてほしいもん、チームに。だから、すごくいい意味で言ってくれたんだとおもう。
あと、もし、ミッチーを呼び戻した一役をかったという意味で言ってくれたなら、これは嬉しい。
わたしはそういうひとになりたいので。