偏愛マップについて

Facebookとかツイッターに載せた偏愛マップのことについて、もう少しだけ書きたいなと思ったので、書いてみる。
 
偏愛マップとは、本来は初対面同士とかまだよく知らない人同士が仲良くなるために、A4の紙に好きなものをかきまくったものを交換して、共通の話題を見つけたり、その人のことを理解するのに使う方法。
もともとは斎藤孝さんの「偏愛マップー嫌いな人がいなくなるコミュニケーション」って本からきているみたい。
(念のため。わたしは別に嫌いな人をいなくしたい訳じゃない。ただの副題)
 
わたしは本は読まず、知人がやっているのを見て、おもしろそうー!自分でもやってみたい!というのがきっかけで、描いてみた。だから、なんか色々とよく分からず描いてるところもあるんだが。(周りのひととの関係とかをなぜか描いてる)
 
それがこれ。
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とても楽しかった。
描いた後に、ああ、これひとの嫌いなものもみてみたいなあと思った。
そして、いろんな自分の根っこが見えた気もした。
 
ここまでが、すでにもう書いたこと。
 
 
で、ここからがその後考えたこと。
 
偏愛マップ一つ目を描いたあとに、いろんなひとのを見てて(知人の間で流行っていた)思ったことがあった。
 
ひとつ。
わたしのやつ、なんでだろう影の部分があんまり見えないなあと。
ぱっと書くと出てこないだけなのか、それともどっかで知られたくないのかなあ。
 
ふたつめ。
上のやつで、わたしはわたしの全体を描いてしまったんだけど、皆が分からないぐらいの個人的に「偏」愛してるものをただ細かく羅列するほうが、もしかしたら伝わるひとには伝わったのかもしれないと。
わかるひとには、タイトル数文字とか並びの共通点で莫大な情報が伝わるのではとか。
それは、本棚をひとに見られるのをびびる気持ちに似てる、とも。
(わたしは見られたら、自分を見透かされる気がしてて、本棚を気安くひとに見せられないひと)
 
そんなように思ったので、一つ目に書かなかったものたちを、ただただ細かくあげてみる、ということをしてみた。
 
それがこれ。
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これはただの自己満足の実験と検証なんだが、でも、この並びには、一枚目の情報より、少し奥がやっぱりわたしには見える。
(全部内容を知ってるからだけど)
 
好きなものたったひとつを言うだけで、個人的な何かが伝わってしまう瞬間というのがある。
たとえば「かぐやひめの物語」は、たぶんあれは万人にお勧めする話じゃなかった…(Facebookでやってしまったが)
めちゃめちゃに自分を揺るがす話は、いつだって個人的な本質の部分に響いてるんだと思う。
 
そういう意味で、大切なメモ書き。